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Posted by on Jan 7, 2015 in Japan, 日本 | 0 comments

1994年、日本への初めての旅

1995_Mijk_MeijiShrine1僕が初めて日本でプレイしたのは、ちょうど20年前でした。
その後26回来日し、この素晴らしい国で多くの友達と強い絆を結ぶことができました。 
どうしてそうなったの?と時々聞かれるので、今日はぜひこのお話を紹介したいと思います。
当時フロッグマンレコードの佐藤大さんと渡辺健吾さんに招待され、渋谷クラプクアトロでプレイさせてもらいました。以前から友達であるToby Izuiさん(Tobynation)が、フロッグマンレコードに僕
を紹介し、彼らとコンタクトを取ってくれていたのです。
当時”ニッポン”に行けるなんて、僕はどんなにテンションが上がったことか。
ちょうど漫画とアニメ(映画AKIRAの影響)を知った頃で、地球の反対側に居る人達が自分の音楽を知って、愛してくれている事実に感激しました。
僕は、まさかこれが素晴らしい関係の始まりにすぎないとは思いもよらなかったです。
1994_MijkClubQuadra_03日本に来て最初に聞いたことは、”Maiku-ban-Daiku” (日本語で”良い大工”と聞こえる) という言葉でした。
最初のパーティーは1994年12月29日、アルバムAfreuropamericasiaustraicaの曲と、4Seasons Of The Mind EP、
そしてLoopZoneの曲をプレイしました。DJは、健吾さんと大さんのほか、当時のシーンではニューカマーとして登場したDove Loves Dubつまり石野卓球さん(電気Groove)がいました。
卓球さんは友人である田中フミヤさんの勧めもありDJをスタートし、のちにWIREを主催、日本のトップDJとなった人です。
パーティーは最高でした。みんなのおもてなしのおかげで僕は本当に楽しませてもらいました。
特筆すべきことは、Tobyさんがバーやクラブ、レストラン、お寺、神社、秋葉原、電気街・・・次から次へといろんなところに連れて行ってくれたことです。
1995_NYE_Toby_3健吾さん、大さん、そしてTobyさんが大晦日に渋谷で開催されるOn Air Westのパーティーに参加しないかと誘ってくれました。
思い返せば、日本のテクノキッズがどのくらいいて、どれほどのことができるか気づいたきっかけになったので、
このパーティーがまさに日本のテクノシーン誕生の日だったと思います。
日本のテクノDJが全員集結していました。ケン・イシイ、田中フミヤ、石野卓球、Toby、健吾、大、そして僕が日本人以外唯一の参加でした。
みんな当時の曲やクラシックをプレイしていました。忘れることができないのは、田中フミヤさんがクラシックセットで最初にKLFのWhat Time Is Loveをプレイした瞬間、
フロアーはまさに超超超大盛り上がりだったのです。(そうなんです、1994年当時あの曲はクラシックとして認識されていたんです)
この曲をかけるたびに、あの瞬間をいつも思い出します。
1995_MijkSven2その後2週間日本に滞在し、途中韓国ソウルへ小旅行もありつつ、僕は一生涯の友達との出会いを経験しました。
フィンランド雑誌の取材で東京に滞在していたフィンランド人ライター兼マスメディア学者サム(Sam Inkinen)、
Manscapeユニットのパートナーでシドニー出身、当時既に2年間日本に住んでおり、日本語にも堪能でシーンのマスコット的存在だったジョシュア(Joshua Kirkby)、
ソニーのテクノ部門、オフィス7の責任者であり、当時R&SやWarp、ジェフ(Jeff Mills)、そして私の音源を日本に紹介してくれたヒロ・マサカズさん、
そして僕の日本滞在最後の日に、来日したスヴェン(Sven Väth)、実際おかしなことに、スヴェンがいつも東京入りするとき、僕が東京を出発するという、
そして他のどこよりも、ましてやドイツよりも日本で一緒になることが多かったのです。 
1995_Gamer's Night Flyer出発の前日、健吾さんと大さんがオーガナイズするゲーマーズナイトにTobyさんとプレイしました。
ゲーマーズナイトでは音楽で踊るだけでなく、ビデオゲームもプレイする事ができました。
僕自身、熱心なゲームファンだったので、ゲーマーズナイトのアイディアは大好きでした。
その夜、最後にかけた曲は電気GrooveのアルバムDragonからリリースされたばかりのNijiでした。
Tobyさんと東京都内を彼のトヨタ・スープラで走る時、彼は何度もそのアルバムをかけてくれたおかげで、日本の最初の旅のサウンドトラックのようになりました。
その曲のピースフルなヴァイブ、デリケートなアルペジオ、美しいボーカル、全てが気に入りました。
ベルリンに戻り、大急ぎでMFSレコードのマーク・リーダーにこの曲のライセンスを取るよう働きかけてリミックスを完成させました。
僕の作ったMijk van Dijk for Girls Remixは今でもファンから求められるクラシックとなったのです。
初来日の経験は、Superstition RecordsTokyo Trax EPに収録されたGamer’s
Nightなどにインス
ピレーションを与え、今でもずっと日本のファンから認知されています。
1995年のベルリン・ラブパレードでこの曲を渡辺健吾さんの為にかけた時、この曲がビデオゲームのストラクチャーと似ていると彼が言っていたのをよく覚えています。
でもそれはまた違う話ですけどね・・・・

1995_KengoDaiToby

Dai Sato <http://www.storyriders.net/eng/>
そして現在、佐藤大さんはアニメや映画の脚本家としてとても活躍されており、彼の作品はDJやレーベルオーナーとしての経験、またテクノからの影響を存分に受けたものなっています。
こちらのリンクにとても興味深い彼の作品に関するレクチャーがあります。<http://www.otaku2.com/?p=679>

Kengo Watanabe
渡辺健吾さんは引き続き Frognation を運営しており、海外の会社と日本を結ぶハブとして活躍しています

Toby Izui さんはDJ/プロデューサーとして精力的に活動を続けており、日本の貴重なエレクトロニックミュージック親善大使であり、僕の親友でもあります。

1995_NYE_Toby_5

日本語訳、岸本 豊   |   校正 猿川 千鶴

This is the Japanese language version. For the original post with complete hyperlinks please go to:
My first trip to Japan in 1994

 

 

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